2015年2月10日火曜日

離婚は悪いこと、恥ずかしいこと、不幸なことか?


離婚率の上昇は時代の流れ!



現在の日本の離婚率は3組に1組の割合だと言います。
1970年には10組に1組だったから、かなり上昇したと言えるでしょう。
USAでは2組に1組の割合がずっと続いているとのことです。
この離婚率の上昇を単純に嘆く積りはありません。
むしろ、ホッとするくらいですよ。

何故ならば、男女平等の制度や社会通念が行き渡ったことや女性の就業率が上ったことと離婚率の上昇は無関係では無いと思えるからです。

夫や世間からの様々な性差別を受けていて、妻からの申し立てによる離婚なんて絶対に考えられなかった時代は過ぎ去ったと思いたいですね。



離縁状や出戻りという酷い女性差別


江戸時代には夫から妻への離縁状が突然届けられて、妻は一方的に離婚させられたと聞きます。
いわゆる、三くだり半とか、去り状離別状と言われるものですね。
夫や婚家の都合で有無を言わせず、嫁を棄てると言う残酷な制度が普通にまかり通っていたのです。
実家に戻れば、出戻りと呼ばれて、恥ずかしく、肩身の狭い思いをしていました。
今でも、出戻りと言う呼ばれ方は完全に消えてはいませんが・・・

そのためか、どんなに酷い虐待を受けていても絶対に離婚しない妻も多かったと聞きます。
妻は離婚されないように夫の様々な暴力を見てみぬふりをし、それが耐える妻のあるべき姿とされたようです。
でも、病気になって家事ができなくなると役立たずの嫁とされたり、跡継ぎの子どもが出来なかった場合は石女(うまずめ)と呼ばれて、実家に戻されることも多々あったようです。

メディアでインド・パキスタンやアラブ諸国での女性差別問題が取り上げられていますが、日本にあってもつい30年ほど前までは女性差別が目立ったと記憶されます。



まともな離婚が出来なかった次代の被害者


10年ほど前に元公爵家のお姫様だった女性が88歳でなくなりました。
私が働いていたブティックでお買い物をしてくださったのが、きっかけでした。
お茶に誘われて、何気にお話させていただいているうちにお友達にさせていただいたのです。
とても、博学で上品な女性で、こんな風に歳を取りたいと心から思っていました。
ある日、私がそう伝えると、
「とんでもない!私のような人生は私でお終いにしないといけませんよ。」とちょっと険しい顔で仰るのでした。
そして、彼女の壮絶な半生を聞いてしまいました。
彼女が生まれた1917年は第一次世界大戦とロシア革命のあった激動の年だったのです。
19歳で親の決めた先に嫁ぎ、21歳で跡継ぎを産むと用済みとばかりに大変なプレイボーイの夫から離縁状を突きつけられたものの実家にも戻れず、アパートで売春をして、生計を立てていたと聞きました。
女性の仕事もなかったし、自分は何も出来なかったからだと笑ってお話されたときはお顔を見ることも出来ませんでした。
お屋敷の裏口から息子の成長を覗き見するのが唯一の楽しみだったとのことでした。
立派に成長した息子がやっとの思いで探し当てて、同居すべく新居を建て、彼女は完成をとても楽しみにしていましたが、完成間近に息を引き取りました。

彼女が女性でなければこんな人生は送らなくても良かったと悔やまれます。
彼女がもう少し後に生まれればこんな人生にはならなかったと思います。
大好きだった彼女の訃報を知ったとき、私は声を上げて泣きました。

もっと、まともな離婚が出来ればよかったのですが、それが叶わなかった時代の被害者だったのです。




思いがけない母の告白


私の、満枝(みつえ)は今年、67歳になります。
私の離婚にはいつも批判的なので、離婚後の8年間と言うものはろくに話もせずに、お互いに避けてきました。

先日、実家に立ち寄ったときにから何気なく
「一緒にお茶を飲みましょう」と誘われて、こんな話をされました。

「私はね、東京のA学院女子短大の家政科を20歳で卒業して、お見合いですぐにお父さんと結婚したのよ。」
当時はそれが当たり前で何の疑問もなく、今日に至っていたようですが、娘である私の離婚を機に自分の結婚離婚について考えさせられたと言うのです。
せっかく、穏やかな老後を過ごしていたに何だか申し訳なく思いましたが・・・

「ひょっとして、私は自分の人生について一度もまともに考えずにきたかもしれないわねぇ・・・」と母が言い出す始末です。
思わず、「そんなこと無いでしょ!」と否定してしまいました。

は、「娘の八寿恵ちゃんの離婚を見ていて、最初は腹が立ったけど、私も何度かこの家を飛び出したりもしたのを思い出したのよ~」とビックリするような告白を聞いてしまいました。
「お父さんも若いときに良く遊んだから、私も堪忍袋の尾が切れたことは一度や二度じゃなかったのよ~」とため息混じりに話すのでした。
「でも、あの頃はまだ浮気は男の甲斐性だとか言って、は我慢するように実家の両親からもきつくたしなめられたものだったのよ・・・」と悔しそうに言うのです。
「あの時、離婚していたらどうなってたでしょうねぇ~」とに言われて、ぞっとしました。

「もっと遅くに生まれて、自由に恋愛もして、本当に好きな人と結婚したかったわ!」とも言うのです。
「イヤイヤ、専門の学校にいって、資格を取ったりして仕事もバリバリしたかったわね!」と目を輝かせてに言われたとき、開いた口がふさがりませんでした。

「だからね、八寿恵ちゃん!私の分まで頑張ってね!!」とにぎょっと手を握られたときは胸が詰まって、思わず涙がこぼれたものでした。

ありがとう!お母さん~

私、がんばるから、ね!!
離婚は悪いこと、恥ずかしいこと、不幸なことではないから、ね!

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