1974年8月14日生まれ。38歳。寅年。獅子座。
暑いお盆に生まれたのですが、夏は苦手です。でも、 寒い冬よりは好きです。
寅年の女はしっかり者で、気が強いと言われますが、 私はその通りと最近は認めています。
望んだ訳でもないけれど、シングルマザーとなった今、 この気の強さが功を奏してサバイバルできていると実感しています 。
もうすぐ、40歳になろうとしているのですが、 人生の半分のココまできたのだから、 何でもやれることはやると言う強い信念で前に進むしかないと誓っ ています。
獅子座らしく、太陽のように明るく、天真爛漫、おおざっぱで、 お出かけ大好き、おしゃべり好きなシングルマザーです。
私の生まれた原田家は古い家柄で、 清和源氏足利氏の血を引くと曾祖父から自慢げに聞かされたもので す。
近いところの先祖は蜂須賀家と信じる祖父が、 生まれる孫全員の命名には「蜂」はおこがましいので、「八」 を付け、この数字は末広がりで、出世するとか言って、 自己満足していました。
一番上の兄は「八州士(やすし)」
二番目の姉は「八奈子(はなこ)」
三番目の私は「八壽恵(やすえ)」古臭い名前ですが、 自分では気に入っています。
遅くに生まれた、末の妹は「八衣路(はいじ)」 と名付けられました。
孫の名前をかなり、楽しんで付けているように思われますね。
この時代に4人兄妹はちと多めに思いますが、 祖父の代から自営の貿易商であったため、 子どもを養えたのでしょう。
こんなルーツを誇りに思って支えにしているのも、 シングルマザーとして、苦労が多いせいでしょうか。
商売人としての実家の環境のお陰で、私も接客好きになり、 今は開業資金を貯めて、自力で商売をしたいと思っています。 ネットビジネスだったら、育児をしながら自宅で出来るし、 スモールスタートできそうですし・・・
普通の女子高生、女子大生として、勉強もせず、 楽しい学生生活を送り、何も考えずに企業に就職し、 適当に遊んだ末、 4歳年上の夫と絵に描いたような25歳で社内結婚をして、 壽退社して、すぐに子どもを二人生んだまでは予想通りでした。
ところが、結婚して7年目に夫の浮気が発覚し、 1年間もめにもめてようやく33歳で調停離婚しました。 弁護士にも頼ることもなく、離婚を成功させるための勉強をし、 自力で離婚をしました。 お陰で離婚は調停離婚に限ると言う教訓を得ました。 シングルマザー1年生になりました。
しかし、 離婚してからというものは今までの生活はエレベーターの急降下状 態に下り始めました。
離婚後6年目の今、「学生の時にもっと、勉強して、 稼げる仕事に就いておけばよかった・・・」と毎日反省しつつ、 絶対振り向かないと自分に言い聞かせて、 必死で働いて稼いで暮らしています。
ボンヤリ過ごしていた専業主婦の頃がまるで嘘のようですが、 決して離婚を悔やんではいません。
私より上の世代の女性だったら、 経済力も無い状態での離婚には躊躇したでしょう。
仕事も無く、 世間から疎まれての寡婦や出戻りは非難と差別対象であったと気づ き、この時代に生まれて本当に良かったと思っています。
今では、どうやればシングルマザーとして、 他人に頼らず自立して生きていけるかを語れるまでになっています 。
媚を売ることもなく、ましてや身を売ることもなく、 自分の頭で考え、 自分の足で歩いて勝ち取ることが出来るようになったのです。
離婚当時、 6歳の女の子と3歳の男の子の二人の子どもの親権は母親である、 私が得て、引き取りました。
夫の母は跡継ぎとして男の子だけを欲しがったのですが、 そんな虫のいいことは許されません。
ましてや、70歳近い夫の母が育てると言っても、 いつ他界するか分かりません。夫の母から「 あなたは我慢が足りない」とか「 あの子が浮気をするのは嫁の出来が悪いから」 と非難されていました。
夫は間違いなく再婚するでしょうから、 その継母との折り合いも心配です。
せっかく、二人生んだ私としては姉弟で育てたいとも考えました。
離婚前も父親は残業と言って飲み歩き、 土日もゴルフ三昧でしたので、既に母子家庭の有様でしたので、 幸いにして子どもは夫との間に距離があり、 父親不在は自然な状態でした。
離婚で最大のハードルであった、 私の経済力には自信は無かったのですが、 調停で決まった夫からの慰謝料と養育費に期待していました。
夫の浮気が原因の離婚ですから、 慰謝料は300万円取ることができました。
養育費は一人5万円で二人で10万円に決まりました。
弁護士なしで自力での調停では、かなり、 頑張って獲得した金額かと思います。
ところが、離婚後3年を過ぎるあたりから、 養育費の支払いが期日に滞りがちで何度も請求することが増えまし た。
後で分かったのですが、あの姑が「 関係のない子どもに支払うことはない」 と入れ知恵していたようです。
それと反比例して、 子どもの教育費などにお金がかかるようになり、 慰謝料と今までの蓄えや実家からの援助ではまかなえなくなってい ました。
ここから、36歳のシングルマザーの孤軍奮闘が始まりました。
子どもにさみしい思いをさせないようにと、 フルタイムでの仕事はできませんでした。
パートでの時給1,000円はすごい優遇で、 仕事は取り合いです。
子どもが熱を出して休むともう、 誰かにその仕事はとられていました。
派遣の仕事は若さかスキルがないと無理だと言われましたし、 時間の自由がきかないので、登録できません。
自分の洋服やぜいたく品は一切買わず、 外食は時々のファーストフード程度とし、 食料品でも単価が500円を上回るものはかなり熟慮してから購入 していました。節電・節水・リサイクルに頭を使ってきました。
しかし、それにも、限界があります。
反面、毎日歳を取っていくのです。 若さでの勝負は到底できません。
どうやって自分を高く売れるようにするか、 自力で稼げる人間になるかを考えて実行できることが残された道で す。
そのためには、コンスタントに収入を得られる仕事に就く= 資格やスキルが必要です。
その資格やスキルを取得・ 習得するための機会と時間を作らなくてはなりません。
そして、 実家の両親以外にも子どもの育児に協力してくれる人が複数必要で す。
そして、3年が過ぎました。次第に私は楽になってきています。
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現在、某アパレル企業の正社員として、働いています。
入社時は、アルバイトとして店頭の販売員からスタートしました。
何しろ、スタートが遅かったので、 挽回するのに必死の勉強をしました。
「ラッピング検定」や「販売士」「ファッション販売能力検定」 を受検し、資格を取得し続けています。
店頭販売実績とあわせて、1年半でショップ店長となりました。
3年でセールスマネジャーとなり、それを機会に「 ファッションビジネス能力検定」を受検し、資格取得しました。 1級取得を目指し、 マーケティングとマーチャンダイジングのノウハウを習得しようと しています。
現在は、ショップ販売員教育にも力を入れています。
まだまだ、勉強することがたくさんありますので、 子どもと一緒に引き続きがんばって生きていきます。
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そこで、私の血のにじむような頑張りから、 苦しむシングルマザーへの応援と知恵や実績・ 成功のコツをこのブログでご紹介していきます。
さあ、ご一緒に苦しみから逸脱して、 たくましく乗り越えて生きましょう!
頑張れシングルマザー!
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